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湯浅京己の父親や兄弟など家族構成!高校時代の怪我のエピソードも徹底調査!

2023年5月18日

2023年3月に開催されたWBCの日本代表に選出された湯浅京己選手は、前年度のシーズンでは最優秀中継ぎのタイトルも獲得している阪神の新守護神です。

ご実家は精肉店の「ぶたふく」を経営されているという情報が耳に入りました。

元野球少年の友達に湯浅京己選手のご実家の話をするとこんなことを言っていました。

「湯浅京己って高校時代から怪我してたからなー。静養中は実家のお肉いっぱい食べてそうやから羨ましいわ」

  • 湯浅京己の実家の父親や母親はどんな人物?
  • 湯浅京己に兄弟はいる?
  • 高校時代の怪我はどんなだった?

上記のような疑問が私の頭の中に次々と湧いてきたので調べることにしました。

この記事では、湯浅京己選手の父親や兄弟などの家族構成や、高校時代の怪我をどう乗り切ったのかについても徹底調査してまとめました。

最後まで読めば、湯浅京己選手のご家族の優しさを知ることができ、これからの応援に熱が入りますよ!

湯浅京己の実家は精肉店「ぶたふく」!

まずは湯浅京己選手のご実家から紹介します!

三重県尾鷲市にあるご実家は精肉店兼惣菜店を経営しており、店名は「ぶたふく」です。

引用元:https://tabelog.com/mie/A2405/A240501/24010858/dtlphotolst/smp2/

183cmと高身長の湯浅京己選手ですが、中学時代は母親が息子の体を大きくしようと、毎日のお弁当にご実家特製のステーキや焼き肉が入っていたそうです。

毎日のお弁当が美味しいお肉ばかりだなんて、中学生にすれば豪華ですよね!

高校時代は寮生活だったこともあり、レンジで温めてすぐ食べられるように冷凍ステーキなどを送ってもらっていたそうです。

一人暮らしが始まった独立リーグ時代には、焼いたらすぐ食べられるようにしてもらっていたんだとか。

学生時代から食生活を支えてもらった湯浅京己選手は、ご実家が精肉店ということでコラボグルメを発表しました。

湯浅京己とのコラボグルメが人気!

2023年5月18日現在、湯浅京己選手のコラボグルメはご実家の精肉店にちなんで「湯浅の厚切りロース味噌カツ丼〜低温熟成ポーク使用〜」として販売されています。

コラボグルメの話が来たとき、憧れを持っていた湯浅京己選手はとても喜んでいたそうです。

「そういう(コラボグルメの)話が来たときはすごくうれしかったし、色んな方に食べてもらえるようになればいいなと思う」

実家が精肉店の右腕にとって味噌カツは小さい頃から慣れ親しんだ食べ物で「もうずっと好きなんですよ」と語る。

引用元:https://www.iza.ne.jp/article/20221223-RK2ABRSR5NNNXMTUGT756VUSLE/

ご自分がご実家で食べて育った大好物を、みんなに食べてもらいたいという湯浅京己選手の思いが込められた商品なので、きっと美味しいのでしょうね!

湯浅京己選手が絶賛する、ご実家の精肉店を経営されているご家族はどのような人物なのでしょうか。

湯浅京己の父親は元野球選手!

湯浅京己選手の父親の名前は、湯浅栄一さんです。

1972年頃が生まれ年になりますので、2023年5月現在の年齢は51歳になると思われます。

父親の栄一さんは、三重高校、法政大学、社会人野球「昭和コンクリート」で野球を経験していて、ポジションは捕手でした。

そんな父親の影響を受けた湯浅京己選手は、幼少期から野球道具があれば他に何もいらず、外で遊ぶのが大好きな子どもだったそうです。

湯浅京己選手は小学校1年生の頃から本格的に野球を始めたいと思っていましたが、肩や肘のことを考えて父親の栄一さんから止められています。

そのため、小学校4年生になって尾鷲野球少年団に入るまでは、父親とキャッチボールなどをやっていました。

幼少期から練習に付き合ってきた父親の栄一さんは、湯浅京己選手のことを「負けず嫌い」だとインタビューで答えています。

「昔から負けず嫌い。納得いくまで練習は終わりませんでしたから。今もその気持ちは持っていると思う」

引用元:https://www.nikkansports.com/baseball/news/202206240001483.html

父親の栄一さんは、息子の大躍進を2022年1月の時点で感じていたと言います。

野球経験者だった栄一さんは、実家に帰ってきた湯浅京己選手と毎年の年末年始恒例のキャッチボールをした際、初めて捕るのが怖いなと思ったそうです。

プロになるまで恐怖心はなかったので、それだけ湯浅京己選手の球速や球の質が向上したということですよね。

父親が確信していた通り、湯浅京己選手は元々の守護神・スアレス選手の名前をもじって「ユアレス」と呼ばれるまでに成長しました。

ストッパーとして活躍する息子の姿に「大したもんだなと思いながら見ています。これからも頑張ってもらいたい」と語る栄一さんは、湯浅京己選手にとってとても優しく良い父親なんでしょうね!

続いて、母親がどんな人物かも見ていきましょう。

湯浅京己の母親

湯浅京己選手の母親の名前は、湯浅衣子さんです。

1973年頃の生まれなので、早生まれじゃなければ夫の栄一さんの1つ年下になります。

子どもの頃、なかなか背が伸びなくて焦る湯浅京己選手に対し、母親の衣子さんは「成長期が来たら絶対足は速くなるし、力もつくから大丈夫」と言い続けて無理をさせなかったそうです。

衣子さんはどんな時でも息子の一番の味方でいるようにしていたそうで、湯浅京己選手に「無理だ」とか「できない」というマイナスな言葉は絶対に使わなかったそうですよ。

愛する息子の可能性をできる限り広げてあげたかった、衣子さんの優しさを感じます。

そんな母親に湯浅京己選手はよく「感謝」を伝えてくれるそうで、衣子さんは息子の気遣いに涙することがあるんだとか。

「よく感謝を伝えてくれる子で、私の誕生日には必ずメッセージをくれますし、自分の誕生日にも"生んでくれてありがとう”と連絡をくれるので、私は毎年のように隠れてうれし涙しています」

引用元:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2022/04/12/kiji/20220412s00001173084000c.html

湯浅京己選手は母親思いな優しい息子さんなんですね!

母の日には独立リーグに入った1年目に、初めてのお給料でピンクの長財布を買ってあげたこともあるんだとか。

母親の衣子さんは、現在も大切にその財布を使っているそうですよ。

そんな湯浅京己選手は幼少期、大きくなったら「絶対にWBCに出る!」と母親に無邪気な笑顔で言っていたそうです。

有言実行し夢を叶えた息子に衣子さんは手紙を送りました。

あっちゃんへ

覚えてるかな? あっちゃんが小4の時、2人で観戦したWBC。「絶対WBCに出る!」って無邪気に言った時の笑顔は今でもしっかりと目に焼きついています。あれから14年、大好きな野球ができなくて、辛い時期もあったけど、着実に夢への一歩を踏み出したあっちゃんに感動すら覚えます。いつも笑顔で信じた道を進む姿を逞しく、誇りに思っているよ。緊張もプレッシャーも想像以上だと思うけど、いつも通り、気負わず、自分らしく愉しんでね!

あっちゃんの笑顔は、私にとって何よりの宝物です。これからもたくさん笑顔を見せてくれるの、楽しみにしてるね。決して無理をせず、身体にはくれぐれも気をつけてね。ずっとずっと応援してるよ!!

母より

「京己」という名前には「己の京(都)を築く」という両親からの思いが込められています。

京には高い所という意味があり「高いところまで駆け上がってほしい」という願いと、いろはかるたの最後の文字が京で「最後まで突き進んでほしい」という2つの理由からつけられた名前だそうです。

名前の通り「これからも自分の好きなことで、道を究めていってほしいです」と母親の衣子さんは湯浅京己選手にエールを送ったのでした!

湯浅京己の兄弟は?

湯浅京己選手にはご兄弟がいらっしゃいません。

ですから湯浅京己選手は一人っ子です。

一人っ子でしたが、よく笑って元気よく遊ぶ子どもだったようですよ。

それは大人になっても変わらず、いつも明るい性格でニコニコを笑っている湯浅京己選手は独立リーグ時代、チームの末弟のように可愛がられていたんだとか。

実の兄弟がいなくても、チームメイトが弟のように可愛がってもらえた湯浅京己選手は、天性の末っ子気質だったのかもしれませんね!

今でこそ明るい湯浅京己選手ですが、高校時代は怪我によって苦しめられた時期があり辛い思いをしたそうです。

家族の支えで乗り切った高校時代の怪我

高校時代、成長痛で思うように練習できず苦しんでいた湯浅京己選手を、両親は支え続けました。

幼い頃からの目標だった聖光学院高校に入学直後、激しい腰痛で歩くことも辛い状態だったんだとか。

お医者さんからは「ある程度、身長が伸びきらないと治らない」と告げられ、「帰りたい」と泣きながら母親の衣子さんに連絡したこともあったそうです。

そんな時に、衣子さんは「絶対に治るから」と励まし、2週間に一度はステーキを真空パックにしたものを湯浅京己選手に送っています。

1日の朝・昼・夜の3回にメールを送ってもいた衣子さんは、

  • 朝は「おはよう」「寒くなるから暖かくしてね」
  • 昼には「腰の調子は大丈夫かな」
  • 夜は「今日はおつかれさま」

と、野球ができない分、湯浅京己選手にとって少しでも気が紛れるよう前向きな言葉を選んでいたと語っています。

そして成長痛の腰痛から徐々に回復していった湯浅京己選手は、高校2年生時の秋に選手として復帰し、11月の練習試合では135キロの球速を記録しました。

甲子園のメンバーからは外れたものの、卒業後には独立リーグのドラフト1位で富山GRNサンダーバーズへの入団を経て、2018年のドラフト会議で阪神タイガースから6位指名を受けてNPB入りしています。

ご家族の献身的な支えがあったからこそ、湯浅京己選手は高校時代の怪我を乗り越え、NPBだけではなくWBC日本代表に選ばれるほどの選手になれたことがわかりました!

湯浅京己の父親や兄弟など家族構成!高校時代の怪我のエピソードも徹底調査!まとめ

湯浅京己選手の父親や兄弟などの家族構成や、高校時代の怪我をどう乗り切ったのかについても徹底調査してまとめました。

調べてみると、以下のことがわかりましたよ。

  • 湯浅京己選手の実家は精肉店の「ぶたふく」を経営している
  • ご実家の精肉店にちなんで、湯浅京己選手は「湯浅の厚切りロース味噌カツ丼〜低温熟成ポーク使用〜」をコラボグルメとしてプロデュースした
  • 野球経験者である父親の名前は栄一さんで、現役時代のポジションは捕手
  • 母親の名前は衣子さんで、幼い時や高校時代と献身的に湯浅京己選手のことを支えた

調べたことを元野球少年である私の友達に伝えると、

「泣けるなー。見る目変わったからもっと感情入れて応援できるわ!」

と言っていました。

私は「涙流れてないんやけど」とツッコミたかったのですが、湯浅京己選手の家族の優しさは理解していたようなのでやめておきました。

これからも湯浅京己選手の活躍を応援していきます!

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