WBC日本代表の宇田川優希選手が気になっていませんか?
宇田川優希選手は育成ドラフトで選ばれた投手ですが、日本シリーズでも活躍し、WBC日本代表に選ばれるほどの選手になっています。
私は学生のスポーツ指導に10年以上関わっていた経歴があり、選手の成長過程には精通している自信があります。
そんな私がこの記事で、宇田川優希選手がなぜ育成選手からWBC日本代表になれたかの3つの理由について学生時代からのエピソードを交えて徹底解説します。
最後まで読めば、宇田川優希選手について詳しく知ることができ、プロ野球観戦をより楽しむことができますよ!
宇田川優希のプロフィール
生年月日 | 1998年11月10日 |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県越谷市 |
身長 | 184cm |
体重 | 94kg |
投打 | 右投右打 |
ポジション | ピッチャー |
プロ入り | 2020年 育成ドラフト3位 |
初出場 | 2022年8月3日 |
年俸 | 1700万円(2023年) |
出身小学校 | 越谷市立宮本小学校 |
出身中学校 | 越谷市立西中学校 |
出身高校 | 埼玉県立八潮南高等学校 |
出身大学 | 仙台大学 体育学部 |
所属 | オリックス・バファローズ |
生まれてから小学校〜中学校時代
宇田川優希選手は、日本人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれました。
7人家族で、5人きょうだいの3番目です。
小学3年生の時に2つ上の双子の兄の影響で、市内の少年野球チーム「宮本ジャイアンツ」に加入しました。
「家でゲームをやるよりも野球が好き」と1人で日が暮れるまで毎日壁当てをする野球少年でした。
中学校時代は軟式野球部に所属しています。
宇田川優希選手は中学時代、特に有名な選手ではなかったそうです。
高校入学前、つまり中学時代の宇田川は埼玉県内でもまったくの無名選手だった。細身で、背は高く180センチ以上あったが、体重は70キロに満たなかった。主戦投手ではなく、試合では捕手を務めることが多かった。齋藤監督はかねてから交流のあった越谷西中に「越谷選抜にも選ばれたいい投手がいる」ということで別の投手を見に行った。その時には宇田川の印象はほとんどなかったという。
引用元:知られざるオリックス・宇田川優希の八潮南時代 全くの無名選手から野球関係者に注目を浴びる好投手になるまで/高校野球ドットコム
宇田川優希選手について、越谷西中学校の指導者は「ポテンシャルは高いかもしれないけれども、制球もよくなく、一人相撲を取ってしまい試合を作ることができないので、監督としては公式戦では使いづらい」と語っており、なかなか投手としての出番は少なかったのではないかと推測されます。
高校時代
埼玉を背負って頂点へ…侍ジャパンの宇田川投手にエール 母校・八潮南高が激励の横断幕
— 埼玉新聞社 (@saitamanp) February 22, 2023
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八潮南高校に進学してからも、1年生の間は宇田川優希選手になかなかチャンスは巡ってこなかったとのことです。
しかし、1年生夏の合宿ではノルマの3杯どんぶり飯をペロリと食べてしまうなど体づくりにも高い意識を持つことができて急成長していたそうです。
2年生秋からの新チームでは、宇田川優希選手は投手の柱となっていました。

活躍できるようになったきっかけは何だろう?
宇田川優希選手の活躍の要因は、精神的な要素の成長が大きかったようです。
チームメイトから「宇田川が投げているときにエラーすると、顔を見られないくらいに怖かった」と言われていた宇田川優希選手でしたが、どんなピンチでも笑顔で仲間の野手たちとマウンドで話せるようになっていたそうです。
精神的な成長の秘訣は、高校時代の恩師である齋藤監督の指導にあったようです。
当時の球速そのものは130キロちょっとくらいだったが、そこから翌年の夏へ向けて成長したのは技術面よりもA4用紙1枚の投手チェックシートを記入していくことで、メンタル面を成長させていったことが大きかった。
引用元:知られざるオリックス・宇田川優希の八潮南時代 全くの無名選手から野球関係者に注目を浴びる好投手になるまで/高校野球ドットコム
齋藤監督の指導を通してメンタル面を大きく成長させた宇田川優希選手は、3年の夏に3回戦でシード校の正智深谷に対し、粘り強い投球で延長15回引き分けに持ち込んだことで一躍有名になり、その存在はメディアでも取り上げられるようになっていきました。
進路選択の際、宇田川優希選手本人は当初、大学で野球をやるという考えはなかったそうです。
しかし、宇田川優希選手の投球が大学のコーチの目にとまり、その繋がりで仙台大学の監督が実際に試合を見にきて「いい投手ですね。4年後にはプロに行かせられますよ」と齋藤監督に伝えられたそうです。
大学時代
仙台大学に進学した宇田川優希選手は、食事とトレーニングで入学時76キロの体重を、約1年間で90キロに増やしました。
2年秋には最速で時速152kmを記録しています。
本来の持ち球だった縦のスライダーに加え、今でも大きな武器になっているフォークをマスターしたことでさらに成長したそうです。
仙台6大学リーグ戦では3年秋までに通算28試合登板、7勝1敗、防御率1.78で、3年生の時に侍ジャパン大学代表合宿に参加しています。
2020年3月、視察した各球団スカウトの宇田川優希選手の評価は次の通りです。
引用元:仙台大・宇田川優希は落差大きいフォーク武器-今秋ドラフト注目の152キロ右腕/スポーツ報知
- ロッテ・柳沼スカウト「ゆったりしたフォームからガンッと伸びのある直球がくる。リリースポイントが高いので空振りが取れる。腕が遅れてくる感じで打ちにくい」「プロの打者と対戦したことで通用する部分とそうでない部分が勉強になったと思う」
- 広島・近藤スカウト「角度のある、重くてキレのいいストレートがある。フォークもいい。体が大きくなったけど、投げ込んでいけばもっと良くなる。(大卒だけど)即戦力というよりも素材型。鍛えていけば面白い」
- ソフトバンク・作山スカウト「スケール感が大きい。プロのトレーニングで体が引き締まってくれば、グッと伸びる可能性がある。球速も球の精度もまだまだ上がりそう。鍛えていけば大きく伸びる可能性を秘めている」
- 別のパ・某スカウト「150キロを超えるストレートに、フォークも勝負球として使える。(見てみたい点は)打力のあるチームにどういう投球をしてくれるか、先発で長いイニングを放れるか。気持ちの強さも確認したい。いずれにせよ楽しみな投手」
上記の通り、スカウトから評価が高かった宇田川優希選手ですが、プロ志望届を出そうかどうか迷っていたことがあったそうです。
八潮南高校の齋藤監督に電話して相談した際「八潮南時代からずっと、チャレンジャーとして挑戦してきたじゃないか。そのチャンスがあるんだったら、挑戦してみるべきじゃないかな。やるだけやって、それでだめだったらしょうがないじゃないか」という言葉で背中を押されたそうです。
宇田川優希選手はプロ志望届を提出しましたが、ドラフト会議の結果は育成3位と本人が納得のいくものではありませんでした。

育成ではなく支配下で行きたかったんですね、、
悔しさをバネに、宇田川優希選手はフレッシュオールスターでの活躍を評価されて支配下登録を勝ち取りました。
日本シリーズでの大活躍から、侍ジャパンに選出される運びとなりました。
なぜ育成選手から日本代表になれた? 理由①同僚の言葉
宇田川優希選手が育成選手からWBC日本代表になれた理由の1つに、同僚の西村凌選手(22年限りでオリックス退団)の言葉があります。
宇田川優希選手は新人時代の2021年から、制球に悩み自分の能力を今ひとつ信じきることができず伸び悩んでいました。
2022年のファーム初登板でも打ち込まれてしまい途中降板した際、チームメートの西村凌選手から次のように言葉をかけられました。
そんなときに西村凌さん(22年限りでオリックス退団)が言ってくれたんです。『真っ直ぐだけで十分だよ』と。『お前は怖いと思っているかもしれないけど、バッターの方が怖いから。それだけ球威のあるボールを投げているよ。だから思い切って投げていけよ』って。
引用元:1年目はファームで1試合登板のみ…侍ジャパン選出の宇田川優希を変えた「同僚の言葉」とは/週刊ベースボールONLINE
この言葉で心境に変化があった宇田川優希選手は、ストライクゾーン内で勝負しようと思えるようになったそうです。
怖さがなくなり、バッターを相手にピッチングを楽しめるようになった宇田川優希選手は、それから結果が出るようになったと振り返ります。
サクセスストーリーの裏側には、同僚の力強い励ましの言葉があったのでした。
なぜ育成選手から日本代表になれた? 理由②平井正史育成投手コーチ
宇田川優希選手が入団した2021年から育成投手コーチを務める平井正史コーチの存在はシンデレラストーリーのきっかけの1つです。
体は大きく、真っ直ぐは速い、何より勝負球として使える程のフォークがあった宇田川優希選手のポテンシャルに驚いていた平井正史コーチは、同時に欠点も見抜いていました。
マウンドや天候の変化、メンタルの弱さから好不調の波が激しく安定した結果を残すことができなかった宇田川優希選手に平井正史コーチは次のようにアドバイスを送りました。
「彼は入団当初からあまり球を投げなかった。せっかくいいものを持っているのに、長くブルペンに入らない時期もあったので。去年からずっと言っていたのは『3日間、ブルペンは空けるな』です。育成の選手は、打たれようが何しようが、投げられなくなったら終わり。そういった状態を作っていかないと下から上がっていくのは無理だろうと。ましてや、1軍では毎日投げないといけない場面もくる」
引用元:年俸240万円から、なぜ日本一のセットアッパーに? 担当コーチが明かす、覚醒の瞬間/Full-Court
上記のアドバイスを素直に受け取ったであろう宇田川優希選手は、2022年6月には2軍での登板が増えていました。
アマチュアとの育成試合に登板したとき、平井正史コーチは宇田川優希選手が1球ごとに空を見上げて心を落ち着かせる仕草をしていることに気がつきました。
平井正史コーチはその時の心境を次のように語っています。
「普段は見せなかった姿だったので『何で空見てるんだ?』と聞くと、彼は『一度、頭をリセットするためです』と。いつもはピンチになった後に反省していたが、気持ちに余裕ができ切り替えることができていた。言い方は正しいかわからないですが“言い訳”することなく、どんな環境でも自分の中で処理できるようになっていた。これでもう大丈夫だと。育成会議でも『もうここで投げる投手じゃない』と伝えました」
引用元:年俸240万円から、なぜ日本一のセットアッパーに? 担当コーチが明かす、覚醒の瞬間/Full-Court
ずっと近くに寄り添って、時には優しく、時には厳しく声をかけていた平井正史コーチの指導により、宇田川優希選手は覚醒することができたのですね。
なぜ育成選手から日本代表になれた? 理由③血の滲むような努力

日本代表にまでなれたのは、やっぱり人との出会いの影響が大きいのですね!
人との出会いはもちろんですが、宇田川優希選手本人の努力は間違いなくWBC日本代表に選出された理由の1つに挙げられます。
宇田川優希選手は根っからの負けず嫌いで、真面目にコツコツと練習を行うタイプです。
2022年3月に新型コロナウイルスに感染してしまった宇田川優希選手は10日間の隔離生活で体が痩せて筋肉量が大きく減少してしまいました。
そこからの本人の努力が凄いのです。
それを機に、復帰後はウエイトトレーニングに力を入れ肉体改造に取り組んだところ、ストレートの威力が格段に増した。以前は152キロほどだった球速も、常時150キロ台中盤が出るようになり、最速は158キロを記録した。
引用元:「育成では行かないと書いていたので…」2年前のドラフトで悩んだ大卒投手がリーグ連覇に貢献するまで「オリックスに来たのは正解だった」/NumberWeb
元々まっすぐには自信があったという宇田川優希選手ですが、ファームやフェニックスリーグで得意のまっすぐを打たれて伸び悩んでいました。
しかし、コロナ明けの肉体改造で最大の武器であるまっすぐにさらに磨きをかけると、念願の支配下登録を勝ち取ります。
初登板から約2ヶ月で19試合22回1/3に登板して、失点はわずか2、防御率は0.81という素晴らしい成績を残しました。
どれだけ才能を持っていても磨かなければただの原石のままです。
自分の運命を血の滲むような努力で切り開いた宇田川優希選手の活躍から、これからも目が離せませんね!
結論:宇田川優希の飛躍の影に、人との出会いと努力あり!
宇田川優希選手がなぜ育成選手からWBC日本代表になれたかの3つの理由について学生時代からのエピソードを交えて解説しました。
宇田川優希選手が育成選手からWBC日本代表になれた理由の1つに、同僚の西村凌選手(22年限りでオリックス退団)の言葉があります。
心境に変化があった宇田川優希選手は、ストライクゾーン内で勝負しようと思えるようになったそうです。
2021年から育成投手コーチを務める平井正史コーチの存在はシンデレラストーリーのきっかけの1つです。
ずっと近くに寄り添って、時には優しく、時には厳しく声をかけていた平井正史コーチの指導により、宇田川優希選手は覚醒することができたのでした。
人との出会いはもちろんですが、宇田川優希選手本人の努力は間違いなくWBC日本代表に選出された理由の1つにあげられます。
宇田川優希選手は根っからの負けず嫌いで、真面目にコツコツと練習を行うタイプです。
自分の運命を血の滲むような努力で切り開いた宇田川優希選手の活躍を、今後も応援していきます!
宇田川優希選手の家族や、高校時代に同級生だった現役アイドルとのエピソードをまとめた記事も書いたので、ぜひ読んでください!