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千日回峰行

千日回峰行、赤山苦行のお寺

赤山禅院は、天台宗の数ある修行のなかでも随一の荒行として知られる、千日回峰行と関わりの深い寺です。

千日回峰行は、平安時代、延暦寺の相應和尚(831年~918年、一説に~908年)により開創された、文字どおり、比叡山の峰々をぬうように巡って礼拝する修行です。
法華経のなかの常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の精神を具現化したものといわれており、出会う人々すべての仏性を礼拝された常不軽菩薩の精神を受け継ぎ、回峰行は、山川草木ことごとくに仏性を見いだし、礼拝して歩きます。
行者は、頭には未開の蓮華をかたどった桧笠をいただき、生死を離れた白装束をまとい、八葉蓮華の草鞋をはき、腰には死出紐と降魔の剣をもつ姿をしています。生身の不動明王の表現とも、また、行が半ばで挫折するときは自ら生命を断つという厳しさを示す死装束ともいわれます。

千日回峰行は7年間かけて行なわれます。
1年目から3年目までは、1日に約30キロの行程を毎年100日間、行じます。行者は定められた260カ所以上のすべてで立ち止まり、礼拝して、峰々を巡ります。
4年目と5年目は、同じく1日30キロを、それぞれ200日間。
ここまでの700日を満じると、“堂入り”をむかえます。比叡山無動寺谷の明王堂に籠もり、9日間、断食・断水・不眠・不臥(食べず、飲まず、眠らず、横にならず)で不動真言を唱えつづけます。その回数は10万と言われ、満行すると阿闍梨と称され、生身の不動明王になるとされます。


千日回峰行者と赤山苦行をともにした草鞋

6年目は、それまでの行程に加え、比叡山から雲母坂を下って赤山禅院へ至り、赤山大明神に花を供し、ふたたび比叡山へと上る往復が加わり、1日約60キロとなります。その100日は「赤山苦行」とも呼ばれ、行者の足でも14~15時間を要する厳しい行程です。
7年目は、200日を巡ります。前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、比叡山中から赤山禅院、さらに京都市内を巡礼し、全行程は84キロにもおよびます。最後の100日間は、もとどおり比叡山中30キロをめぐり、千日の満行をむかえます。

赤山禅院では、千日回峰行を満行した大阿闍梨が住職をつとめ、大阿闍梨により「八千枚大護摩供」「ぜんそく封じ・へちま加持」「珠数供養」をはじめとする数々の加持・祈祷が行われています。